アルゼンチン鉄道旅行第七回(2025年11月20日〜12月1日)


 アルゼンチン鉄道路線図(2025年12月時点)

  • 11月21日
    • ブエノスアイレス→レシステンシアへ飛行機で移動‥‥レシステンシア→プエルト・ティロル(運休で乗れず)
  • 11月22日
    • サンティアゴ・デル・エステロ(フォルム)―ラ・バンダ往復乗車‥‥サンティアゴ・デル・エステロ→ブエノスアイレスへ飛行機で移動
  • 11月23日
    • ブエノスアイレス(オンセ)→メルロ‥‥マリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノ→タピアレス→ゴンサレス・カタン→ロサノ→ゴンサレス・カタン→プレシデンテ・イシア‥‥プレメトロP (E2) 線全線‥‥プラサ・デ・ロス・ビレーシェス・エバ・ペロン→エミリオ・ミトレ‥‥ブエノスアイレス歴史的路面電車に乗車
  • 11月24日
    • ブエノスアイレス→エスケルへ飛行機で移動
  • 11月25日
    • ラ・トロチータ(エスケル―ナウエルパン)に往復乗車
  • 11月26日
    • エスケル→エル・マイテンへバスで移動
  • 11月27日
    • ラ・トロチータ(エル・マイテン―インヘニエロ・ブルノ・トマエ)に往復乗車→エル・ボルソンへ移動
  • 11月28日
    • エル・ボルソン→サン・カルロス・デ・バリローチェへバスで移動→ブエノスアイレスへ飛行機で移動

(文章中の為替レートは乗車当時のものです。この頃のアルゼンチンペソは政府が決める公定レートと、「ドラル・ブルー」と呼ばれる個人間売買のレートがほぼ同じとなり、2025年11月20日時点で公定レートで1peso=0.109円)

 私のアルゼンチン鉄道完乗もそろそろ大詰めが近づいており、私が通常取れる10日程度の休みを使った遠征をあと2回行えば完乗できる見込みである。そこで今回は、季節運転で運転日も不定期なため乗るのが困難なアルゼンチン南部のチュブ州の狭軌(750mm)鉄道「ラ・トロチータ」2ヶ所と、ブエノスアイレス州で土日祝日のみ運転のローカル線、そしてブエノスアイレス市内で土日祝日のみ運転のブエノスアイレス歴史的路面電車の乗車を中心にスケジュールを組むことにした。まずは「ラ・トロチータ」の指定席乗車券の予約購入である。ラ・トロチータはエスケルという町から18.9km走る路線と、それとは別のエル・マイテンという町から25.9km走る路線の2ヶ所で観光列車として運行しており、ラ・トロチータのウェブサイトを見ると、2025年11月は前者の路線は概ね火木土曜の週3回一往復運行してるが、後者は11月は3日と27日のみ一往復と難関で、これで私の旅程はほぼ固まってしまう。エスケル発の乗車は11月25日、エル・マイテン発は11月27日と決め、同ウェブサイトで指定席乗車券を購入。次は日本からの往復航空券の購入である。11月21日(金)から24日(月)までアルゼンチンはちょうど4連休で交通機関の混雑が予想されるので避けたかったが、1日日程がズレただけでも10万円位運賃が上下することがしばしばあるのが航空運賃の常で、運賃の都合上、11月20日に日本出発、12月1日に帰国と決まった。

 旅行が決まってから出発までは、渡航先の情報にアンテナを張るのがいつもの私の習慣である。まずは交通機関のストライキ情報に目を光らせる。アルゼンチンはおそらく世界有数のストライキ多発国で、政権が右だろうが左だろうが各業種組合からゼネストまで毎年ストライキが絶えず、航空、鉄道、バスは年に何度もストライキで運行が止まる。特に航空ではパイロットの組合、管制官の組合、グランドハンドリングの組合などがそれぞれ別々にストライキを組み、その度に航空ダイヤが混乱する。11月の時点では管制官の組合が夜間の貨物便に対しての管制業務のストライキを週2回実行しているが、旅客便は大丈夫そうだ。
 次に入ってきたニュースが「10月15日にブエノスアイレス(アエロパルケ)からコルドバに向かっていたアルゼンチン航空AR1526便で片側エンジンがトラブルを起こす事態が発生したため、同型のボーイング737-800型の機の運航を一時停止した」である。私の今回の旅行ではアルゼンチン航空の国内便に4回乗る予定で既に航空券も買ったが、うち3便はボーイング737-800型である。10月25日にアルゼンチン航空からメールが来て、11月24日搭乗のブエノスアイレス発エスケル行きAR1818便は、主に国内線用のアエロパルケ空港発から、主に国際線用のエセイサ空港の出発に変更になったと。エセイサ空港はブエノスアイレス中心部から遠くてやや不便になったが、航空機のやりくりを事前にしっかり計画してくれただけでもよしと考えることにする。
 10月下旬に入り、一ヶ月前に予約で使ったラ・トロチータのウェブサイトを何気なく覗いた所、エスケル発、エル・マイテン発のそれぞれのカレンダーで運行日が太字で記されているのだが、エル・マイテン発の11月のカレンダーから太字が消えている。このカレンダーでは運行日の列車の座席が売り切れた場合は太字に取り消し線が引かれているが、エル・マイテン発の11月はそれも無い。クレジットカードで運賃の引き落としも済んだ列車がその後運休になるとは考えにくいが、その後も同ウェブサイト上のエル・マイテン発は無いままで心配になり、出発間近の11月17日にeメールで問い合わせる。すると僅か2時間後に返事があり、「11月27日の出発はありますよ」と。一安心である。
 出発前日の11月19日、「チュブ州のエプシェンという町の近くの山で森林火災が発生している」というニュースが入る。エプシェンはエル・マイテンの近くで、今回の旅行ではバスの乗り換えなどでエプシェンを2回通る予定である。消火に難航しているらしく、ニュース映像を見ると、私が通る予定の国道40号線からも火の手が見える。現場の国道40号線がもし通行止めになってしまったら迂回路もない所であり、私の旅程にも大きく影響する。これについては現場を通る一週間後までに山火事が鎮火することを祈るしかない。
 ということで、安心したり不安を抱えたりと一人右往左往しながら11月20日木曜、日本を発ち、メキシコ経由でアルゼンチンに向かった。

2025年11月21日:ブエノスアイレス→レシステンシアへ飛行機で移動‥レシステンシア→プエルト・ティロル(運休で乗れず)

 11月20日の夜遅くブエノスアイレスに到着し、ブエノスアイレスのホテルに一泊し、翌11月21日金曜朝10時、タクシーでアエロパルケ空港に向かう。連休初日で懸念していたが、空港の車寄せも、空港内の保安検査場も幸いさほど混んではなかった。レシステンシア行きアルゼンチン航空AR1744便は出発時刻が当初の12時35分から13時05分に変更されていたが、その程度の遅れは想定内で、14時30分過ぎにアルゼンチン北部のチャコ州レシステンシアの空港に着陸した。


 レシステンシア付近の航空機内からの眺め
 Vista de la cercanía de Resistencia desde el avión

 今回の旅行でまず乗る鉄道は、アルゼンチン国鉄のレシステンシア―カクイ―プエルト・ティロル間15kmである。ここレシステンシアには7年前の2018年にも私は来たが、当時この路線は2017年より長期運休中で、途中のカクイから分岐してロス・アモーレスという所への路線のみに乗車した。その後の2020年8月3日にレシステンシア―カクイ間8kmが運転再開、そして遂に今年の4月7日にカクイ―プエルト・ティロル間7kmの運転が再開され、私は満を持して遥々この地に再びやって来たのである。現在、この路線は月曜から金曜まで1日7〜9往復の列車が走っている。今日は金曜日だが「観光促進休日」と呼ばれる祝日で、「月曜から金曜」の路線が祝日でも運転しているか心配していたが、11月20日に更新されたアルゼンチン国鉄のウェブサイトの「チャコ地域の運行」のページを見ると「11月21日と24日は通常通りのダイヤで運行する」と記されていて一安心する。

 空港から乗ったタクシーの運転手に「レシステンシアの鉄道駅へ」と伝えるも、運転手は首を傾げている。レシステンシア駅の近くには北東部国立大学 Universidad Nacional del Nordeste のキャンパスがあるので「駅(エスタシオン)は北東部国立大学の近くだ」と言うと運転手は「ああ分かった」と頷きタクシーを走らせる。タクシーは埃っぽく殺風景なレシスタンシアの街中をゴトゴト走り、着いたのは大学の近くのガソリンスタンドであった。スペイン語ではガソリンスタンドをエスタシオン・デ・ガソリーナ estación de gasolina と言うのでやむを得ない。やはりタクシーの運転手は鉄道のことなんて知らないんだろうな、と思う。

 ガソリンスタンドからレシステンシア駅までは1km弱なので歩き、15時15分頃には駅に到着した。古色蒼然とした駅舎も人気のない切符売り場も7年前に訪れた時と同じで感慨深い。駅舎の写真を撮り、ホームのベンチで15時42分発のプエルト・ティロル行きを待つ。列車を待っているのは私一人だけだが、レシステンシア駅は市街の外れにあるのでここから乗る客はあまりいないのだろう。のんびり座っていると、アルゼンチン国鉄のポロシャツを着た女性駅員が現れる。私が「プエルト・ティロル行きを待っている」と話しかけると、「今日は列車は無い」との返事。「なぜ?」と尋ねると、駅員は長々と説明をしだす。早口のスペイン語で殆ど聞き取れなかったが「技術的問題 Problema técnico」との言葉が聞き取れた。その一語で十分である。アルゼンチンの鉄道では頻繁に起こる車両故障であろう。時刻表からはこの路線は2編成の車両が(中間のカクイ駅で列車交換して)運行していると推定できるので、15時42分発の車両が故障してもその次の16時56分発は走れそうな気もするが、もし駅と駅の間で故障したら、駅以外は全線単線のこの路線は全体が麻痺してしまう。ともかく「今日はもう列車は無い」のだ。駅員の言質を聞いても諦めきれないので16時まで駅に居たが、やはり列車は来なかった。その間、私以外に誰も乗客が現れない。現地の利用客には運休の情報が既に伝わっていたのだろうか?「今日は」と言うより本当は「今日も」ではないのか?


 レシステンシア駅
 Estación Resistencia

 レシステンシアに来たのは二度目だし、特に見る所もなく時間も余ってしまったので、先ほど通りがかった北東部国立大学前から路線バスに30分程乗って、パラナ川の対岸のコリエンテスへ行く。コリエンテスの市街地の北西側はパラナ川に面していて、コスタネラと呼ばれる河岸は地元市民の憩いの場となっている。河岸の遊歩道に来てみると、幅1キロ位はありそうな大河パラナ川の向こうは大草原が広がっていて、アルゼンチンらしい雄大な景色だ。そんな景色を眺めながらも、7年の時を跨いで日本から一万数千キロ離れたレシステンシア駅に二度も来たのに列車に乗れなかったことを考えると、長年の片思いの恋人に振られたような気分である。何で自分はアルゼンチンの鉄道完乗など変な事に熱を上げて金も時間も費やしていたんだ、目を覚まして正気になって、もう完乗を目指すなんて止めよう、レシステンシアにもう来ることもないだろう、などと思ったりもする。


 コリエンテスの河岸
 Costanera Corrientes

 夜も更けた22時、コリエンテスのバスターミナルで長距離バスを待つ。煤けたコンクリートのバスターミナルは薄暗く 、いくつものバス会社の切符売り場の派手な看板が無秩序に並び、陰気で場末感の強い所であった。バスターミナル裏の広い空き地は1993年に廃止された旧コリエンテス鉄道駅の跡で、骨組みだけになった貨車が放置されているのが見えた。アルゼンチンでは長距離の鉄道による旅客輸送が衰退している一方、長距離バス路線が広い国土に張り巡らされていて、ちょっと大きな町には大抵バスターミナルがあるが、ここコリエンテスのようにくたびれた感じの所が多い。首都ブエノスアイレスのレティーロという所にはアルゼンチン最大のバスターミナルがあって国内各地はもとより近隣国への国際バスまで発着しているが、バスターミナル内は薄暗く陰気で、治安の悪い場所として知られている。アルゼンチンでも陸路の移動は米国のように自家用車に取って代わられつつあるのか、バスターミナルの設備はおざなりに、なのかもしれない。23時15分、長距離夜行バスに乗って約500km離れたサンティアゴ・デル・エステロに向かう。

11月22日:サンティアゴ・デル・エステロ(フォルム)―ラ・バンダ往復乗車‥サンティアゴ・デル・エステロ→ブエノスアイレスへ飛行機で移動

 バスは夜中にいくつかの町に停車する以外は休憩もなく走り続け、11月22日土曜8時52分にサンティアゴ・デル・エステロのバスターミナルに到着した。サンティアゴ・デル・エステロは同名の州の州都でこれといった観光地もない地方都市だが、ここから隣町のラ・バンダという所までの8kmを約30分で結ぶ鉄道が運行されていて「発展への列車 Tren al Desarrollo」と呼ばれている。「発展への列車」は旧アルゼンチン国鉄が1980年代に廃止した路線の復活で、かつては地上に敷かれていた広軌(1676mm)の線路を全線高架の狭軌(1000mm)へとほぼ作り直しし、2016年にサンティアゴ・デル・エステロからテクノロヒコまでの4kmが開業、翌2017年にテクノロヒコからラ・バンダまでの4kmが開業している。用いられている車両はアルゼンチンのテクノトレン社製造で、当初は気動車(ディーゼル動車)であったが、2022年に蓄電池電車(おそらくリチウムイオン電池搭載)に改造されている。

 サンティアゴ・デル・エステロの駅はバスターミナルのすぐ隣にあり、またその隣は旧サンティアゴ・デル・エステロ駅の駅舎を改造した「サンティアゴ・デル・エステ・コンベンション・フォーラム・センター」という大きな施設があるので、駅はフォルム(フォーラムのスペイン語読み)とも呼ばれている。「発展への列車」は月曜から金曜までは8時から21時まで、土日祝日は15時から21時までの運行で、サンティアゴ・デル・エステロ発は毎時00分、ラ・バンダ発は毎時30分とダイヤが組まれている。今日は土曜日なので始発の15時まで時間が余る。駅近くのカフェでコーヒーを飲み、州政府庁舎や公園をぶらぶらし、11時半に開店したレストランで昼食をとり、路線バスに20分程乗ってラ・バンダの町へ行き、発展への列車の駅と、隣接するアルゼンチン国鉄のラ・バンダ駅を見学する。2019年に私は国鉄のトゥクマン発ブエノスアイレス行き長距離列車に乗り、途中駅であるここラ・バンダ駅を通ったことがある。あの時、十数分の停車時間の間に歩いたプラットフォームや跨線橋を、今再び歩いてみると懐かしさが込み上げてくる。現在、トゥクマンとブエノスアイレスを結ぶ旅客列車は二ヶ月前のサンティアゴ・デル・エステロ州内での同列車の脱線事故(幸い死傷者はなかった)のため運休中である。人気のないプラットフォームを歩いていると、駅職員が出てきたので少し会話をする。旅客列車は運休中だが貨物列車は不定期に走っているとのことで、「いつになったら旅客列車は再開されるの?」と尋ねてみると、「来年1月かな」との返事であった。


 ラ・バンダ駅、橙色の屋根はアルゼンチン国鉄の駅舎で、それに隣接した駅舎と高架線は「発展への列車」
 Estación La Banda, se ve los edificios de los Ferrocarriles Argentinos (el techo anaranjado) y del Tren al Desarrollo (con el viaducto)

 ラ・バンダ15時30分始発の発展への列車に乗るつもりであったが、まだ13時半で、おまけに外の陽射しは強く、ゆうに30度は超えている暑さだ。駅はラ・バンダ市内の中心部なのに、冷房の効いたカフェなどといった気の利いたものはなく、街中を歩く人も殆どいない。アルゼンチンの地方都市ではよく見かけるシエスタの時間の光景である。店先に椅子と机を並べてある雑貨店でコーラを買って飲むも、それでも暑い。サンティアゴ・デル・エステロに戻って、発展への列車はそこから往復乗車することとし、タクシーを拾ってサンティアゴ・デル・エステロに向かった。

 発展への列車のサンティアゴ・デル・エステロ駅は4階建てのビルである。この列車の運賃は無料で、定期旅客列車の運賃が完全無料というのは珍しい。1階の待合室にはホテルのフロントのような綺麗なカウンターがあって駅職員もいるが、運賃無料で切符も存在しないので、職員はすることもなく暇そうに座っているだけである。


 「発展への列車」のサンティアゴ・デル・エステロ駅の駅舎と、駅舎内部
 Exterior y Interior de la estación Santiago del Estero

 プラットフォームは階段を昇った3階で、15時7分に3両編成の連接車が現れ、十数人の客を乗せて15時10分にサンティアゴ・デル・エステロを出発した。始発列車から10分遅れとはのんびりしている。


 サンティアゴ・デル・エステロ駅に入線した列車
 Tren al Desarrollo efectuando su entrada en la estación Santiago del Estero

 列車はサンティアゴ・デル・エステロ市内を走ると、間もなくループ線に入る。発展への列車の路線図を見ると「豚のしっぽ」のような形で、楕円の長径は約800mとループ線としては大きいが、線路の交差部の高低差は10m足らず位である。ここをループ線にしたのは急勾配を緩和するという目的ではなく、おそらく旧線からやや離れた所に次のボタニコ(植物園)駅を設置した関係であろう。運転室のすぐ後ろで父子の客と私の三人で「かぶりつき」をしていると、運転士の横で立っていた職員が運転室へ手招きしてくれるので、前方の写真を撮らせてもらう。15時17分、ループ線の中間部にあるボタニコ駅に停車。駅前には植物園に加えて、2021年にオープンした3万人収容のサッカースタジアムがあるが、乗降客はなかった。


 ループ線の交差部と、ボタニコ駅付近の車窓
 Línea de bucle y Paisaje cercano a la estación Botánico

 ボタニコ駅を出発すると、ドゥルセ川を鉄橋で渡り、15時24分、ノード・テクノロヒコ駅に停車する。駅前にはノード・テクノロヒコ(科学技術拠点)と呼ばれる科学技術関連の施設やイベント会場から成る大型施設がある。この駅は唯一列車交換が可能な島式ホームとなっていて、向かいの線路には、乗っている列車と同じ3両編成の連接車が止まっている。発展への列車は全線単線で、両端が頭端式ホーム棒線駅で、ボタニコも棒線駅だった〜と考えると、この鉄道が所有している車両は2編成のみということになる。ノード・テクノロヒコ駅を出ると列車はラ・バンダの町中を見下ろしながら高架線を時速20km位でゆっくりと走り、15時38分、終点のラ・バンダ駅に着いた。折り返しの列車の乗客も十人ちょっと位で、さっき乗っていた父子も私同様にまた乗っている。土曜の昼間とは言えこの乗客の少なさは、全線高架線や蓄電池電車といった立派な設備を持て余しているように思える。平日の朝夕ならもっと乗っているのだろうか?、だとしても2つの町の間は路線バスが頻繁に運行していて、所要時間もほぼ同じかバスの方がやや短い位である。沿線の印象からは、あくまで個人的感想だが「この州ってハコモノ行政やってんじゃないの?」という気がする。列車は全8kmを行きと同様にゆっくりと約30分かけて走り、16時9分にサンティアゴ・デル・エステロ駅に到着。タクシーを拾ってサンティアゴ・デル・エステロ空港に行き、18時15分発のアルゼンチン航空AR1461便でブエノスアイレスへ戻った。


 ノード・テクノロヒコ駅と、ラ・バンダ駅に到着した発展への列車
 Estación Nodo Tecnológico y el Tren al Desarrollo en la estación La Banda

11月23日:ブエノスアイレス(オンセ)→メルロ‥マリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノ→タピアレス→ゴンサレス・カタン→ロサノ→ゴンサレス・カタン→プレシデンテ・イシア‥プレメトロP (E2) 線全線‥プラサ・デ・ロス・ビレーシェス・エバ・ペロン→エミリオ・ミトレ‥ブエノスアイレス歴史的路面電車に乗車

 本日11月23日は日曜だが、ブエノスアイレス市および近郊の未乗の路線を乗り回す盛り沢山のスケジュールである。最初の目的は、国鉄ベルグラーノ南線のマリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノからタピアレスまで22.8kmの乗車である。路線図を見る限りは、まずベルグラーノ南線起点のDr. アントニオ・サエンスからタピアレスへ行き、そこで列車を乗り換えてマリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノまで乗るのが定石だが、この経路で行くと乗り換え待ち時間を含めて約1時間40分を要する。ベルグラーノ南線のDr. アントニオ・サエンスは2022年に訪れたことがあるが、駅周辺は治安が悪く、地元のタクシー運転手にも「あの辺りは危ないぞ」と警告されたほどの場所であまり行きたくない。そこで地図を眺めて見ると、マリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノは国鉄サルミエント線メルロ駅の南5kmにある。ブエノスアイレスのサルミエント線起点のオンセからメルロまでは58分で、メルロからはタクシーに乗れば直ぐであろう。この経路の方が速くて安全である。

 早朝5時にブエノスアイレスのホテルを出発し、タクシーでオンセ駅へ向かう。オンセ駅を訪れるのはもう三度目である。サルミエント線メルロ経由モレノ行き電車は時刻表より3分遅れの5時54分に発車した。アルゼンチン国鉄のブエノスアイレス近郊路線はどこも徐行箇所が多く、今までの私の経験だと慢性的に10分位遅延していることが多い。12日前の11月11日には、ここサルミエント線のリニエルス駅付近で電車が分岐器を通過している最中にポイントが作動してしまい、20名以上の怪我人を出す脱線事故を起こしている。そのため同線では安全のために徐行する区間が更に増え、列車ダイヤは有って無いような状態で、平日朝夕のラッシュ時を中心に激しい混雑で乗客の積み残しが起こっている状態である。今、私が乗っている電車は日曜早朝の下りなので座席の半分くらいが埋まる程度だが、すれ違う上り電車は立客も見える。電車は徐行を繰り返しながら走り、リニエルスを通り、18分の遅れで7時7分にメルロに着いた。メルロの駅前には幸いタクシーが居て、15分程でマリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノ駅前に到着した。

 マリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノは今は僅か22kmの盲腸線の終点駅だが、かつてはブエノスアイレス州西部のカルウエという所まで約500km伸びていた路線の中間部であった。1976年に殆どの区間が廃止されるも、1983年にここを終点として復活し、その際に駅名を、前年の1982年にマルビナス戦争(フォークランド戦争)中に撃沈され323名が亡くなった巡洋艦ヘネラル・ベルグラーノ号を記念してマリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノ(巡洋艦ヘネラル・ベルグラーノの船員達)としている。


 マリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノ駅に停車中のタピアレス行き列車
 Tren de pasajeros con destino Tapiales en la estación Marinos del Crucero General Belgrano

 7時55分にタピアレスから来た列車が到着。車両は3両編成の中国製気動車である。定刻の8時5分に各車両数人の客を乗せてタピアレス行きは東へ出発した。車窓は木立の合間に家々が点在する風景〜と書いたら誤解されそうで、実際は野放図に生えた木々と、レンガ造りにトタン屋根の質素な家や落書きだらけのシャッターや塀が続く風景である。8時48分にアルド・ボンツィ駅に停車。ここから分岐してプエンテ・アルシーナという所まで13.5kmの路線がかつてあったが、2017年より休止中である。アルド・ボンツィを出ると高架線に入り、国鉄ロカ線アエド〜テンペルレイの線路をオーバークロスする。かつては両線はダイヤモンドクロッシングで平面交差していたが、今年9月15日にこの高架線が開通している。ここはもう三ヶ月前に乗っておきたかったな、と少し思う。列車は8時54分に終点タピアレスに到着。ここで9時13分発のゴンサレス・カタン行きに乗り、首尾よく定刻の9時42分にゴンサレス・カタンに到着した。


 アルド・ボンツィ〜タピアレス間の高架線から見たロカ線と旧ベルグラーノ南線のダイヤモンドクロッシングと、タピアレス駅
 Ex el cruce de los ramales ferroviarios de las líneas Roca y Belgrano Sur entre las estaciones de Aldo Bonzi y Tapiales desde el viaducto nuevo, y Estación Tapiales

 次なる目的は、ゴンサレス・カタンからベルグラーノ南線のロサノという所までの乗車である。途中のマルコス・パスまでは私は既に2022年11月に乗ったが、その後の2022年12月23日にマルコス・パス〜ビシャース間11.8kmが30年振りに復活開業、そして2023年10月1日にビシャース〜ロサノ間11.4kmが47年振りに復活開業している。現在マルコス・パス〜ビシャース間は毎日2往復の運行があるが、そこから先のロサノまで行く列車は土日祝日のみ2往復とハードルが高い。そのため前述の「ラ・トロチータ」と共に今回の旅程を組むのに熟慮した部分である。

 ゴンサレス・カタン駅のホームには行楽の装いの客が数十人ほどロサノ行きを待っていたが、入線してきた気動車は幸い3両編成で、7割位の乗車率で定刻の10時2分にゴンサレス・カタンを西へ向けて発車した。マルコス・パスまでの17.2kmは前回乗車済みである。前回は曇っていたせいか殺風景な荒地に見えた風景が、今日は晴れているせいか美しい草原に見える。やはりその時々の天気により印象は随分変わるものである。10時44分、マルコス・パスに停車。私にとってここからは未乗区間である。列車はしばらく走ると右へカーブして国鉄サルミエント線の線路を鉄橋でオーバークロスし、のどかな草原や牧草地をのんびりと走り、11時14分にビシャースに停車。駅舎は1908年の開業時に作られたものである。アルゼンチンでは毎年5月の第1または第2土日曜が「アルゼンチン国家建造物の日」と定められており、アルゼンチン文化局のウェブサイトには(廃駅も含めて)16の駅が歴史的国家建造物としてリストされているが、その内の一つがこのビシャース駅である1)。ここで乗客の3分の2位が降りる。ビシャース村内にはエスタンシア(牧場)やキント(別荘)と呼ばれる所がいくつかあり、現在そこでは観光客が散策や乗馬を楽しんだり、アサードと呼ばれる野外のバーベキュー料理(肉の塊を炭火でじっくりと焼く)を食べたりできるらしい。


 ビシャース駅
 Estación Villars

 ビシャースを発車すると、土日祝日2往復しか走らない最終区間に入る。このダイヤは完全に行楽客向けの設定であろう。列車は並行する道路もない牧草地を30分程トボトボと走り、11時41分、終点のロサノに到着した。ロサノは小さな集落で、駅周囲にある建物は数軒だけで、村全体でも約30家族のみが住む所らしい。ここで降りた乗客達もビシャース同様、午後の列車が来るまでの一時を田舎の雰囲気を楽しむのであろう。私にとっては、これでアルゼンチン国鉄のブエノスアイレス近郊路線を完乗したことになる。


 ビシャース〜ロサノ間の車窓
 Paisaje entre Villars y Lozano


 終点のロサノ駅
 Estación final Lozano

 折り返し列車は11時49分にロサノを出発し、13時26分にゴンサレス・カタンに到着。13時33分発のDr. アントニオ・サエンス行きに乗り、14時22分、Dr. アントニオ・サエンスの2つ手前のプレシデンテ・イジャ駅で列車を降りた。次の目的はブエノスアイレス市内を走る唯一のライトレールであるプレメトロ全7.4kmの完乗である。プレメトロはブエノスアイレス地下鉄の一路線(P線)として運営されているが、全て地上を走っている。起点のインテンデンテ・フリオ・セサル・サギエルが地下鉄E線と接続しているのでE2線とも呼ばれている。1987年開業で、併用軌道の区間も一部あったり、道路の車線の間に停留所が有ったりするのでほぼ路面電車である。プレシデンテ・イジャは起点のインテンデンテ・フリオ・セサル・サギエルから7つ目の停留所で、沿線で唯一アルゼンチン国鉄と接続していて、またここでは停留所前の道路が一方通行なので上下線が約500mに亘って離れている。14時37分、ヘネラル・サビオ行き電車が来た。1両編成で、車両の前方後方それぞれに乗車扉があり、ステップを登った所には回転バーがあって、交通系ICカードのスーベをタッチするとバーが回せて車内へ入れる。車体中央には降車専用の扉がある。プレメトロが通るブエノスアイレス市南部は概ねあまり治安がよろしくなく、アルゼンチンで「ビシャ・ミセリア(貧困の村)」または略して「ビシャ」と呼ばれるスラム街の近くも通る。そのためプレメトロの全ての電車に警官が警乗している。プレシデンテ・イジャを出ると間もなく専用軌道となり、ポーラ停留所の先で線路は2方向に分かれ、乗っている電車は大きく左にカーブする。車窓右手には16階建ての巨大な住宅団地が次々に現れる。これは1970年代前半に建設されたマヌエル・ニコラス・サビオ公営住宅団地で、見た目はブレジネフ書記長時代のソ連で多く建設された高層集合住宅「ブレジネフカ」を思わせる。現在はボリビアからの移民が多く住んでいるらしい。プレシデンテ・イジャを出た時には立客もいる位混んでいた車内も停留所に停まる毎に空いてきて、14時53分、終点のヘネラル・サビオに到着。


 プレメトロの車内(女性警官が警乗している)と、終点ヘネラル・サビオ停留所
 Interior del coche del Premetro (viaja policía a bordo) y Estación General Savio

 プレメトロは先程通ったポーラで二方向に分かれていて、ヘネラル・サビオともう一つの終点停留所セントロ・シビコ・ルガーノの間は800m位離れており、そこまで歩く。道路の両側には灰色の巨大な住宅団地が威圧するように聳え、その割には人通りは少なく不気味である。団地の1〜2階部分は商業施設が入るような造りだが、殆どがシャッターを降ろしていた。セントロ・シビコ・ルガーノ停留所まであと100m位という時に停留所から発車して去っていく電車が見える。タイミングが悪い。ブエノスアイレス地下鉄を運営しているエモバ社のウェブサイトによると、時刻表のページには始発と終発の時刻しか記されていないが、プレメトロの電車間隔は土日祝日は13分毎と記されている。セントロ・シビコ・ルガーノ停留所は道路の車線の間にあった。ベンチに腰掛け、周囲を用心しつつ待つが一向に次の電車が来ない。15時30分頃に一組の乗客が現れたのでまさか運転終了はないだろうが、「土日祝日は13分毎」って何だ。目の前の道路を「コンスティトゥシオン」と表示された路線バスが頻繁に通り過ぎていく(コンスティトゥシオン広場はブエノスアイレス市の中心部にあり、鉄道のターミナル駅もあってよく知っている)。今日は早朝にオンセ駅の売店で買ったエンパナーダを食べたきりで、腹も減っている。とっととあのバスに乗れば、と一瞬心が揺らぐが、それではアルゼンチンの鉄道完乗を自ら捨てたことになるので、やはり電車を待つ。


 セントロ・シビコ・ルガーノ停留所
 Estación Centro Cívico Lugano

 1時間近く待った末に、電車は16時2分に来た。電車はすぐに折り返し運転となり、2つ目のポーラ停留所の手前で先程乗ったヘネラル・サビオからの線路に合流し、プレシデンテ・イジャを通り、バルバストロという停留所の辺りから併用軌道になり、16時33分にインテンデンテ・フリオ・セサル・サギエルに到着した。ここは地下鉄E線のプラサ・デ・ロス・ビレーシェス駅に接続している。ここから地下鉄E線で3駅行ったエミリオ・ミトレで降りる。


 プレメトロのインテンデンテ・フリオ・セサル・サギエル駅と、地下鉄E線のプラサ・デ・ロス・ビレーシェス駅
 Estación Intendente Julio César Saguier del Premetro y Estación Plaza de los Virreyes de la línea E del subte de Buenos Aires

 本日最後の目的は、ブエノスアイレスで1ヶ所のみ運行されている保存路面電車の乗車である。20世紀前半にはブエノスアイレス市内に網の目のように巡らされていた路面電車は1963年に一旦全て廃止されていた。しかしブエノスアイレス市カバシート地区には、1914年に公道上に併用軌道として敷かれ、地下鉄のポルボリン整備工場(地上にある)と地下鉄A線を結ぶ周回線2kmが地下鉄車両の出入庫のため使われている。この周回線を用いて、1980年より「トランビア友の協会 Asociación Amigos del Tranvía」が古い路面電車を観光用に走らせている。正式な名称は「ブエノスアイレス歴史的路面電車 Tramway Histórico de Buenos Aires」である。現在の運転は土日祝日のみで、起点・終点は共にポルボリン整備工場の斜め前の路上で、地下鉄E線エミリオ・ミトレ駅から5分程歩いた所にある。着いてみると乗車の順番を待つ人々が列をなしていて、百人以上はいる。ちょっと迷うが、今日を逃したらいつ乗る機会があるだろうかと考え、列の最後尾に並ぶ。しばらく待っていると、薄い紙っぺらの記念切符が渡され、やがて客は30人ずつ位に分けられて、グループ毎に(おそらく)友の協会の人が路面電車の歴史やここの保存車両について解説してくれる。


 ポルボリン整備工場と、ブエノスアイレス歴史的路面電車の記念切符
 Taller Polvorín y Pesaje conmemorativo del Tramway Histórico de Buenos Aires

 1時間強待った末に、やっと乗車の順番が回って来た。本日は2台の路面電車が続行運転している。私が乗った前の車両は「291号」で、これは英国United Electric Carが1900年代に製造した電車で、キルメス(ブエノスアイレス州)市電→ロサリオ市電として運行されていたが、1963年にロサリオ市電が廃止されると共に廃車となっていたものを改修し、2024年より運行している。18時21分、満員の客を乗せて発車。電車が走る道路は両側に駐車車両が停まっているので実質2車線位の、さして広くない一方通行で、車両通行量も多く車の間を縫うように走る。リバダリア大通りとの交差点で電車は左折し、更に交通量の多い大通りに入る。分岐線の向こうに地下鉄A線への(地下へ向かう)引込線がちらっと見える。電車の直前で軌道上を横切る車が多いので慎重に走る。今度は大通りから小さな通りへの左折で、車両後方に陣取った車掌が「停まれ PARE」と記された金属板をかざして車道の通行を止めている。更に2回の左折を経て周回線一周となり、18時36分、ポルボリン整備工場前に戻って来た。あっという間であった。


 291号電車と652号電車
 Tranvía 291 y Tranvía 652

11月24日:ブエノスアイレス→エスケルへ飛行機で移動

 本日から4泊5日はブエノスアイレスを離れ、アルゼンチン南部を走る鉄道「ラ・トロチータ」を乗りに行く。「ラ・トロチータ」は愛称で、線路の軌間が750mmと狭いことから、スペイン語で線路の軌間を意味する "trocha" の指小辞 "trochita"(直訳すれば「ちっちゃい軌間」)の愛称で呼ばれている。元はリオ・ネグロ州インヘニエロ・ジャコバッチとチュブ州エスケル間の402.1kmを結ぶ、1945年開業の狭軌鉄道であった。開業当時は貨物輸送のみであったが1950年より旅客輸送も行い、自動車道路もない町々を結ぶ貴重な交通機関であった。1948年には国有化され、旧アルゼンチン国鉄ロカ将軍鉄道の一路線として営業していたが、その後の道路の整備により利用者は減り、運行は週一往復まで減った末に1993年に一旦全線が廃止されている。しかし翌1994年より一部の区間で観光列車「ラ・トロチータ」が運行されて今に至っている。かつては一般向け観光列車に加えて、団体客向けに列車ごと貸し切りで走行区間もオーダーメイドのチャーター列車もあって、鉄道ファン向けに1週間位かけてほぼ全線をじっくりとフォトランバイするツアーが欧米の旅行会社により催されていた。しかし多くの区間で線路保守が行われていないために、年々走行不可能な区間が増え、加えて2023年11月11日には47名の米国人観光客を乗せたチャーター列車がセロ・メサ駅付近で脱線転覆事故を起こし、4名の重傷者を出している2)。この事故以来チャーター列車は催行されなくなり、現在は以下の2カ所で観光列車が運転されている。
 ①エル・マイテン〜インヘニエロ・ブルノ・トマエ間 25.9km(下記時刻表のf, g)
 ②エスケル〜ナウエルパン間 18.9km(下記時刻表のh)

 私は上記時刻表のインヘニエロ・ジャコバッチ〜オホス・デ・アグア間43.0kmを2020年に既に乗車済みで、今回乗るべき「ラ・トロチータ」の乗車距離は①②合わせて計44.8km(往復乗って89.6km)だけなのだが、ブエノスアイレスからの移動日も含めると4泊5日を要する。これは「ラ・トロチータ」の運転本数が少ないことがネックなのは冒頭にも書いたが、「ラ・トロチータ」の終点のエスケルへの飛行機の便数がまた少なく、あって1日1〜2往復、全くフライトが無い日もあったりするのが旅程に大きく影響してしまう。

 11月24日月曜、ブエノスアイレスのエセイサ国際空港へ行く。エセイサ国際空港を発着する便の殆どは国際線だが、一部国内線の発着もあって、これから乗るエスケル行きAR1818便もそれにあたる。本日エスケルへ行くフライトはこの便だけで、明日はエスケルへのフライトは無いので欠航されたら大変だが、AR1818便は13時少し前に無事離陸し、パタゴニアの乾いた大地を見下ろしながら南西へと飛行し、15時10分頃にエスケル空港に着陸した。タクシーでエスケル市内に向かい、本日から2泊するホテルにチェックインした後は、駅の見学である。


 チュブ州上空の航空機内からの眺め
 Vista de la provincia del Chubut desde el avión

 エスケル駅は市内中心部から15分程歩いた町外れのような所にあった。駅舎は山小屋のような趣で、本日は列車の運行がないので、待合室は暇そうにスマホをいじっている駅員がいるだけでガランとしている。プラットホームには荷物車1両+客車8両が横付けされている。駅構内は地元民の生活道路になってるのか、時々買い物カゴを持ったおばさんが線路を横断していく。駅の背後は丘のように少し高くなっていて、そこから列車と駅、そして背後の山々を眺めていると、遥々遠くへ来たものだと、まだ列車に乗っていないのに気分が高まる。


 エスケル駅
 Estación Esquel


 エスケル駅
 Estación Esquel

11月25日:ラ・トロチータ(エスケル―ナウエルパン)に往復乗車

 11月25日火曜朝9時、エスケル駅にはラ・トロチータの乗客が三々五々と集まって来る。メールで送られてきた乗車券のプリントを駅の窓口で呈示すると座席番号を裏面に書き入れた硬券の切符が渡される。駅舎の隣にある小さな小屋は博物館となっていて、中に入ると昔の駅の備品などが展示されていた。なかでも各地への切符を収納した箱が私には印象的で、ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)までの一等(1ra. Clase) / 二等(C/ Turista)と書かれた乗車券を見ていると、三十二年前にタイムスリップして、この乗車券でここからブエノスアイレスまで鉄道旅行したかったな、と思う。


 エスケルの博物館の展示物
 Museo histórico de la estación Esquel

 9時15分頃になると機関庫から蒸気機関車が現れる。ラ・トロチータの牽引機は全て蒸気機関車(重油炊き)で、この鉄道の建設が始まった1922年頃からドイツのヘンシェル製機関車50両および米国ボールドウィン製機関車25両が輸入されていて、現在も運転可能な数両が機関庫のあるインヘニエロ・ジャコバッチ、エル・マイテン、エスケルの3カ所で使われている。本日の牽引機はボールドウィン製16号機である。機関車が客車の先頭に連結され、8両の客車にほぼ満員の乗客が乗り込むと、10時1分、高音の汽笛がヒューッと鳴り、列車はナウエルパンに向けてエスケルを出発した。


 ラ・トロチータの記念切符と、エスケル駅で発車を待つナウエルパン行き列車(牽引機はボールドウィン製16号蒸気機関車)
 Pesaje conmemorativo de La Trochita y Tren de pasajeros con destino Nahuelpan en la estación Esquel (Locomotora a vapor Baldwin Nro. 16)

 列車はエスケルを出ると勾配をゆっくりと上る。車窓右手後方にエスケルの町を見下ろし、その向こうには頂上付近に雪を抱いた山々も見える。観光列車らしく車内ではガイドが沿線の紹介をし、ギターを抱えた楽士が民謡を歌い出す。この路線では2023年から「列車襲撃 Asalto al tren」というアトラクションが月一回位催されていて、走行中のラ・トロチータを馬に跨り銃を持った盗賊団が囲み、乗客に強盗をはたらく真似事のショーを行っている。


 エスケル郊外の車窓と、ラ・トロチータの客車内
 Paisaje cercano a Esquel y Interior de un vagón de La Trochita

 国道と交差し、しばらくすると列車は右に大きく180度位カーブし、次に左に200度位カーブしながら走る。線路は草原上に盛土された上に敷かれていて、このS字カーブはおそらく勾配を緩和するためと思われるが、なぜか「卵のカーブ La curva del huevo」と呼ばれており、窓からちょっと顔を出せば先頭の機関車を含め列車全体が見えるので、乗客たちは皆こぞって写真を撮っている。パタゴニア地方は一般的に風が強く、2011年4月23日にはここの盛土の上を走っていた観光列車が強風に煽られて脱線転覆事故を起こし、死者こそ出なかったが20名以上の怪我人が発生している3)


 「卵のカーブ」の車窓、車窓からは先頭の機関車を含め列車全体が見ることができる
 Paisaje de "La curva del huevo", donde se puede ver la formación completa circulando en una curva pronunciada por las ventanas del tren


 「卵のカーブ」の車窓
 Paisaje de "La curva del huevo"

 列車はもう一度国道と交差し、車窓は草原から半砂漠のような茶色い大地に変わり、大きく左へカーブすると、11時11分、終点のナウエルパンに到着した。ナウエルパンとはマプチェ族の言葉で「ジャガーのいる所」という意味で、またかつてマプチェ族の部族長にナウエルパンという名の男がいたらしい。駅に沿って何軒かの小屋があり、小さな博物館や軽食堂、土産物屋となっているが、周囲には他に人家らしきものはない。列車からは百人以上の客が降りて賑わっているが、駅を離れて数分程歩いてみると、草木を揺らす風の音だけが聞こえてくる寂寥感漂うところであった。


 終点のナウエルパン駅
 Estación final Nahuelpan

 ナウエルパン駅にはデルタ線があり、機関車はデルタ線を通って方向転換をし、乗客を再び乗せて12時ちょうどにナウエルパンを出発。13時3分にエスケルに戻って来た。


 ナウエルパン駅ではデルタ線を通って機関車の進行方向を転換し反対側に付け替える、復路の車窓
 La locomotora a vapor realiza la maniobra de inversión para después ponerse al frente de la formación, y Paisaje del regreso

11月26日:エスケル→エル・マイテンへバスで移動

 11月26日水曜、今日はエスケルからエル・マイテンまで約130kmを移動するだけだが、人口の少ないパタゴニア地方でバスの本数が少ないため、そう簡単ではない。まず、エスケルとエル・マイテンを直通するバスは火曜と土曜の週2往復しかない。やや遠回りになるがエプシェンという町を経由・乗り換えの経路なら月曜から土曜まで可能だが、まずエスケルからエプシェンまでのバスのダイヤは曜日によって異なっていて、水曜だと5時20分発→7時20分着と6時35分発→8時5分着の2本のみ、またエプシェンからエル・マイテンまでのバスのダイヤは月曜から土曜まで8時50分発→10時0分着と18時30分発→19時30分着の2本のみ、となっている。こうなると今日の旅程は自ずと、6時35分にエスケルを出発して、エプシェンで8時50分発のバスに乗り換える旅程に決まった。エル・マイテンにはラ・トロチータに乗る24時間以上前に着いてしまい間延びした感じだがやむを得ない。

 エスケル6時35分発予定の私が乗るバスはコモドーロ・リバダビアという所を始発として、サン・カルロス・デ・バリローチェという所まで行く長距離バスである。昨晩コモドーロ・リバダビアを出発して約600kmも走って来たこともあり、やや遅れて6時55分頃にエスケルのバスターミナルにやって来た。エスケルを出発したのは7時4分であったが、29分の遅れなら許容範囲だろう。前もって予約購入しておいた座席は2階最前列で最上の眺めである。バスは昨日通ったラ・トロチータの踏切を越え、進路を北に向け国道40号線を快調に走る。車窓左手には平原の向こうに雪を抱いた山脈が見え、パタゴニアらしい絶景だ。8時ちょうど頃「レパ小川 Arroyo Lepa」と看板のある所を通る。地図を見るとまだエスケルとエプシェンの中間点辺りだ。8時50分までにエプシェンに着くか不安になってくる。考えてみるとエスケル〜エプシェンは124kmあるが、走っている国道の最高速度指示はだいたい時速80kmか60kmである。バスダイヤの「6時35分発→8時5分着」通りに1時間半で走るには、途中全くのノンストップだとしても時速82.6kmを維持しなければならない。同じ道を走る1本前のバスのダイヤが「5時20分発→7時20分着」と2時間を要しているのとも整合していないし、ダイヤの信用性が怪しくなってきた。エプシェン8時50分発のエル・マイテン行きバスを逃したら、次は18時30分発である。早起きしてでもエスケル5時20分発のにしておけばよかった、エプシェンのような小さな町にタクシーはいるだろうか、などと考えあぐねながら道路前方をじっと見続ける。8時28分、エプシェン方面とエル・マイテン方面への分岐を通過。エプシェンまで27kmとの看板があり、もしかしたら間に合うかもしれない。バスは止まることなく順調に走り、8時45分にエプシェンの村内に入り、8時47分にエプシェンの小さなバスターミナルに到着した。バスターミナルにいる何人かに「エル・マイテン行きのバスはここでいいの?」と尋ねると、同じくエル・マイテン行きを待っているおじさんが一人居た。やっと一安心である。


 エスケル〜エプシェン間の車窓
 Paisaje entre Esquel y Epuyén

 8時53分にエル・マイテン行きのバスがやって来た。20人位乗りのミニバスで、乗ろうとすると運転手に「ラゴ(湖)に寄ってくからここで待ってな」と言われる。エプシェンの数キロ西にエプシェン湖があるので、そこへまず往復してくるのだろう。しばらく待っているとミニバスは9時23分に戻ってきた。ミニバスに乗り込み、晴れてエル・マイテンに向けて出発する。先程のエスケルからのバスにせよ、今乗っているエル・マイテン行きのバスにせよ、ローカルな運行事情が前もって分かっていればあんなに焦ることはなかったのにと思うが、こういう事こそが慣れぬ異国の旅ならではと言えよう。ミニバスは峠道を越え、平原の一本道を進み、10時1分にエル・マイテンの小さなバスターミナルに到着した。

 ホテルにチェックインして荷物を降ろし、昼食を取った後はエル・マイテンの駅を見学する。ホテルのすぐ脇にはエル・マイテン駅のデルタ線があって、線路上には廃車となった蒸気機関車が打ち捨てられている。駅に向かって線路脇を歩くとデルタ線も駅構内の側線も廃車だらけで、数えたら11両の蒸気機関車が放置されていた。ボリビアのウユニにある有名な「列車の墓場」には敵わずとも、ここも印象的な場所である。


 エル・マイテン駅のデルタ線には廃車となって錆び付いた蒸気機関車が多数放置されている
 Hay numerosas locomotoras corroídas abandonadas en la línea triangular de maniobras de la estación El Maitén


 エル・マイテン駅
 Estación El Maitén

 誰もいない駅を見て、後はエル・マイテンの町を散策する―と言っても小さな町で、観光案内所で地図を貰い、町の教会を見学し、通りの真ん中に静態保存されている蒸気機関車を眺め、町の北側を流れるチュブ川に架かる鉄道橋を眺めると、明日の朝までもうすることがない。14時過ぎにホテルへ戻り昼寝をする。乗り潰しの旅はいつも忙しないが、今回ばかりは交通が不便なため珍しく余裕の空き時間である。外は晴れていて暑かったが、寝室の窓を開けて網戸にすると緑の庭から吹いてくるそよ風が心地良い。ホテルの管理人のおばさんが、「うちのレストランは閉めてるんだけど、20時にビーフステーキの夕食を作ってあげようか」と勧めてきたのでお願いする。全4室しかない小さなホテルだが、今晩泊まっているのは私一人だけのようである。

11月27日:ラ・トロチータ(エル・マイテン―インヘニエロ・ブルノ・トマエ)に往復乗車→エル・ボルソンへ移動

 11月27日木曜、朝9時半過ぎにエル・マイテン駅に行くと、既に蒸気機関車は機関庫を出て、側線を前進したり後進しながら客車を連結している。牽引機はボールドウィン製4号機だ。


 エル・マイテン駅の車庫で発車準備中のボールドウィン製4号蒸気機関車
 Locomotora a vapor Baldwin Nro. 4 se prepara en el patio de maniobras de la estación El Maitén

 機関庫の隣には小さな鉄道博物館があり、入ってみると展示物は殆どが写真パネルであった。本日これから乗車するラ・トロチータの終点はインヘニエロ・ブルノ・トマエという名の駅だが、駅名のインヘニエロは技師という意味で、ブルノ・トマエは人名である。ブルノ・トマエ氏はインヘニエロ・ジャコバッチ〜エスケル間402kmの鉄道建設を指揮した人物で、博物館には彼の写真が2枚あった。管理人らしき女性に「ブルノ・トマエはアルゼンチン人、それとも外国人ですか?」と尋ねてみるも、「分からないわ。イギリス人かねぇ」と心許ない(後で調べたらブルノ・フリオ・トマエ Bruno Julio Thomae は1897年ブエノスアイレス生まれ、1952年に亡くなったアルゼンチン人であった)。駅には観光バスで乗り付けた団体客などが続々と集まって来た。10時20分頃になるとガイド付きで機関庫の中を見学できる。機関庫は整備工場を兼ねていて、旋盤などの工作機械が並んでいる。機関庫にはボールドウィン製1号機がいて、先程見た4号機と合わせて2両の蒸気機関車がここでは稼働しているのだろう。


 エル・マイテン駅の鉄道博物館と機関庫兼整備工場、および工場の内部
 El museo ferroviario de El Maitén y Talleres ferroviarios de reparación general de coches y locomotoras, y Interior de los talleres

 駅に戻ると、既に列車はホームに横付けされて発車準備ができている。編成は蒸気機関車+荷物車+食堂車+客車5両+車掌車である。


 エル・マイテン駅で発車を待つインヘニエロ・ブルノ・トマエ行き列車
 Tren de pasajeros con destino Ingeniero Bruno Thomae en la estación El Maitén

 座席の8割方が乗客で埋まり、11時4分、南のインヘニエロ・ブルノ・トマエに向けて発車―と思ったら推進運転で北向きに走り出した。昨日訪れたチュブ川に架かる鉄橋の上で停車する。鉄橋上の列車をどうぞ外からカメラに収めて、というサービスで、乗客を降ろすと蒸気機関車の先頭が鉄橋の真ん中に来る辺りまで後退し、サービスで煙を盛んに吐きながらゆっくりと前進する。


 列車はチュブ川に架かる鉄橋の上で停車する 乗客は下車して列車の写真を撮ることができる
 El tren se detiene en el puente sobre el Río Chubut, donde los pasajeros pueden descender para tomar fotografías


 チュブ川に架かる鉄橋の上で停車中の列車
 El tren se detiene en el puente sobre el Río Chubut

 再び乗客を乗せると列車は南に向けて走り出し、エル・マイテン駅をゆっくりと通過し、町並みが途切れると遠くに山並みを望む平原の中を走る。周りの平原は乾いた土の上に棘だらけの小灌木や草が生え、荒涼とした風景がすっと続く。


 エル・マイテン〜インヘニエロ・ブルノ・トマエ間の車窓
 Paisaje entre El Maitén y Ingeniero Bruno Thomae


 エル・マイテン〜インヘニエロ・ブルノ・トマエ間の車窓と、252kmを示すキロポスト
 Paisaje entre El Maitén y Ingeniero Bruno Thomae y El mojón km252


 エル・マイテン〜インヘニエロ・ブルノ・トマエ間の車窓
 Paisaje entre El Maitén y Ingeniero Bruno Thomae

 車内は陽気な観光客で賑やかだ。隣に座っている四人組の中年女性グループは私に「日本から来たの!アルゼンチンではどこを回ったの?仕事は?タンゴ踊れる?私も日本に行ってみたいわ」と質問責めで絡んでくるので、おちおち車窓を眺める暇もない。列車はほぼ直線を南に向かって走っていたが、やがて左右へのカーブが多くなり、植林されたと思われる林の中に入り、12時23分、終点のインヘニエロ・ブルノ・トマエに到着した。駅の西側にはデルタ線があり、機関車はデルタ線を通って方向転換を行う。この辺り一帯の土地はアルゼンチン最大の民間土地所有者である「南部アルゼンチン土地会社 Compañía de Tierras Sud Argentino (CTSA)」のもので、インヘニエロ・ブルノ・トマエ駅周囲の人工林も同社によるものであろう。ちなみにCTSAは1991年にイタリアの有名なアパレル企業のベネトン・グループの財務部門に買収されて、CTSAはベネトンの傘下会社となっている。数十人の乗客は列車を降りるが、駅と言っても廃車の台車がプラットホーム代わりに置かれているのと、高さ1メートル半位の崩れた石組みがあるのと、側線に廃車を改造した簡易トイレがあるだけで、機関車を撮影する以外にすることがない。かつてはこの駅には駅舎があったのだが、2017年8月1日に駅舎は放火され全焼してしまい、今は崩れた石組みに駅の跡を残すのみとなっている。この放火事件は現地のマプチェ民族抵抗運動 Resistencia Ancestral Mapuche (RAM) という組織がマプチェ族の自治や土地の権利を求めて、2017年8月1日に国道40号線の道路封鎖をした所、国家憲兵隊により暴力的に鎮圧されたが、それに反抗して同日インヘニエロ・ブルノ・トマエ駅に放火したとされている。


 終点のインヘニエロ・ブルノ・トマエ駅、ここで機関車はデルタ線を通って方向転換する
 Estación final Ingeniero Bruno Thomae, lugar donde se encuentra el triángulo de maniobras para poder regresar


 インヘニエロ・ブルノ・トマエ駅に停車中のラ・トロチータ
 Formación de La Trochita parada en la estación Ingeniero Bruno Thomae

 乗客を再び乗せて13時2分にインヘニエロ・ブルノ・トマエを出発。13時59分にエル・マイテンに戻って来た。


 復路の車窓と、食堂車(ただしコーヒーと菓子、パンの販売のみ)
 Paisaje del regreso y Vagón comedor

 乗客の多くは観光バスでエル・ボルソンに向かうが、私は一人で、路線バスは19時30分発までない。昨日ホテルの管理人のおばさんに夜まで路線バスがないことを相談した所、4万ペソ(4300円)でエル・オジョという町まで車で連れて行ってくれることになっている。ホテルに戻り、彼女が運転する車に乗せてもらう。道中、エプシェンの森林火災について聞いてみると、幸い「今は鎮火している」とのこと。国道40号線は通行に問題なく、車は1時間弱でエル・オジョに着き、16時30分発の路線バスに乗り、30分程でエル・ボルソンに到着した。エル・ボルソンはこの地域の観光の拠点となっている場所で、宿泊施設も豊富、空港のあるサン・カルロス・デ・バリローチェまではほぼ1時間毎に路線バスが通っている。今晩はこの町のホテルに泊まる。

11月28日:エル・ボルソン→サン・カルロス・デ・バリローチェへバスで移動→ブエノスアイレスへ飛行機で移動

 11月28日金曜、朝8時発のバスでサン・カルロス・デ・バリローチェに向かい、10時過ぎにサン・カルロス・デ・バリローチェのバスターミナルに到着。バスターミナルの隣には鉄道駅があるので寄ってみる。私にとってここに来るのは5年9ヶ月ぶりで懐かしいが、今日は旅客列車の発着がないので閑散としていた。町中を散歩した後、空港に向かい、13時0分発のアルゼンチン航空AR1673便でブエノスアイレスへ戻った。明日午後の飛行機で日本へ帰る。


 サン・カルロス・デ・バリローチェ駅と、ナウエル・ウアピ湖畔沿いの風景
 Estación San Carlos de Bariloche y Vista del lago Nahuel Huapi desde la costanera de San Carlos de Bariloche

 今回の旅行はレシステンシア近郊のローカル線を乗り損ねたがその他は順調で、以前より難関と考えていた土日祝日のみ運行の路線や、交通の不便なパタゴニア地方の路線を無事乗車することができ、終わってみれば大満足である。私のアルゼンチン鉄道乗車記録は、乗車済km/全営業km(%)が、一年前の5872km/6054km(96.99%)から5988km/6068km(98.68%)へとなった。一週間前にレシステンシアで「もう完乗を目指すなんて止めよう」などと愚痴っていたのはどこへやら、次回のアルゼンチン遠征でいよいよ100%完乗か、と私は帰りの飛行機の中であれこれ次回の旅程を考えていた。

1) Secretaría de Cultura - Estaciones de ferrocarril con historia en el Día Nacional de los Monumentos

2) Crónica Ferroviaria, 13 de noviembre, 2023 - Río Negro: Sobre el gravísimo descarrilamiento y vuelco de la formación completa de La Trochita

3) YouTube - Steam in Argentine La Trochita accident 2011, 23 04 11 DESCARRILAMIENTO DE LA TROCHITA

 

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